突然来た娘との別れ!!

ファンコニ貧血 白血病 舌がん

令和元年8月14日 午前10時22分 次女未希がこの世を去りました。

21歳と10か月の生涯でした。

5月29日の再入院から闘病の期間中、回復を信じて本人も家族も沢山の方々に励ましの言葉やお力をお借りして頑張って来ましした。

私自身、理屈と感情のバランスが噛み合わない状態で「ショック」「喪失感」「引きこもり」「後悔」「孤独感」などかつて経験した事のない辛い日々を過ごしています。

【召される当日の朝】

朝の8時過ぎ、自宅の電話が鳴り響き早朝からの電話にはかなり緊張の走る音となりました。

その電話はやはり娘の入院先からでした。

「呼吸の状態上が乱れていまして、血圧は大丈夫なのですが直ぐに病院に来てください。」と看護師さんからの連絡でした。

ただならぬ状況は察しながらも白血病を乗り越えた時を思い出しながら「大丈夫だから!」と自らに言い聞かせて病室へ入りました。

すでにドクターと大勢の看護師が手当てをしていました。

私達家族の到着を一生懸命頑張り待っていてくれた娘。

「今踏ん張りどころだから頑張れ!」と肩で息をする娘と目と目が合い一旦状況の説明のため別室に行きましたが、状態が急変しているとの事ですぐに病室へ戻りました。

娘は電動ベッドのリモコンボタンを押し体を凄い勢いで起こしてテーブルに手を乗せてみんなに顔を見せました。

気管切開していた為声は出せないけどみんなに何かを伝えるために力を振り絞ってくれたんだね!

その後、あっと言う間に血圧が下がり呼吸が止まってしまった。

ついさっきまで看護師さんから「家族の皆さんもう少しで来るからね」との言葉に大きく頷きDSのゲームをしていたそうです。

「きーちゃん!きーちゃん!きーちゃん!」何度も娘の名前を叫びましたが、白血病を寛解した時の様な奇跡は起こりませんでした。

実は、5月の再々入院から6月の初旬の気管切開の際に「切開手術をしていなかったら一週間持たなかった。余命は一ヶ月です。」と

ドクターから告げられ家族でパニックに陥り友人に迎えに来てもらってやっとの思いで帰宅した出来事があったのですが

臨終後の話でドクターは「ご本人の強い意志とご家族の力でここまで来て本当に奇跡です。」と涙を浮かべて仰っていただきました。

後に綴ろうと考えている、娘の生まれ持った難病の認知とそれに起因するがんに対する保険適用外治療の支援を求めた【きーちゃん応援会】なる会を立ち上げ、長女が投稿した文章を是非とも読んで下さい。

【きーちゃん応援会】

神様にしか分からない
限られた現世の時間の中で人が生きる。

あぁこれを人生と呼ぶんだね、きーちゃん。

とある人に言われた言葉です。
「最後に家族に参加し、最初に天国へ逝かれた」

まさにその通りなので、
寂しいというのが私の本音です。

でもね、
きーちゃんのおねぇになれて私は幸せ。
感謝の気持ちでいっぱいなんです。

きーちゃんには沢山の事を気づかせてもらいました。

「自分には 負けたくない」
癌が見つかって、きーちゃんはそう言いましたね。

その自分で言った通り、
あなたはきーちゃんとしての人生を
生きた抜いた、と私は沢山の人に伝えたいです。

いつでも家族や周りの人を気にする人だから?
気丈だから?
泣き言も言わず、涙も見せない
生前そんな人でしたね。

あなたの強さを表す言葉が見つかりません。

きーちゃんが自力で呼吸しづらくなって迎えた
2019年8月14日の明け方の事。

看護師さんから、
家族や担当医がこれから来ますよ、
と声をかけられて
きーちゃんは大きく首を振りうなずき
いつも通りDSをして待っていてくれたらしいのです。

会った時には自力での酸素濃度50%で、
ゲームする余裕に担当の先生も驚いていたし、
家族はその話を聞いて、もっと驚いたよ。

そこからあれよあれよと言う間に
自力での呼吸が難しくなっていった。

そんな中、自分でベッドを直角に起こして
机の角を両手で掴んで

必死に皆に顔を見せた。

苦しいんだから、良いんだよ、って皆で声をかけました。

そこから、自力での呼吸値が下がって、
そのままきーちゃんは起きなかったのです。

痛みやだるさが大きいと、そんな事は出来ずに
目を閉じてしまう人が多いと聞きました。

人想いのきーちゃんだから、
最後に家族にもお世話になった先生にも
最後のご挨拶をして、きーちゃんを貫きました。

挫けずに自分へ完全勝利したきーちゃんに
尊敬の気持ちを送ります。

いつもより目覚めが良かった
私の2019年8月14日の朝。

最近二度寝する事が多かったのに
8時に目が覚めてから、

ふと「あ、今日は寝ない方がいい」と思い
きーちゃんの部屋を拭き掃除していました。

そこへ病院からの電話で呼び出しがあり、
きーちゃんの最期を
家族と一緒に見届ける事が出来ました。

葬儀場へきーちゃんの一番の友達
りかちゃんが来て、こんな事を言いました。

「いつもはお昼過ぎまで目が覚めないのに
朝の8時に目が覚めた。
そこから二度寝しなかった。」

りかちゃんまで、私と同じ事を言ったのです。

離れた所にいるきーちゃんが
私たちを起こしてくれたと、いよいよ確信しました。

ん、待てよ・・・
その時間ってきーちゃん辛かった時間だったよね?

そんな時までまで、おねぇやりかちゃんの事
気にしてくれてたんだね?

きーちゃんは、
どこまでも人の事ばっかなんだねぇ。

私は悲しいんじゃなくて、
そんなきーちゃんのおねぇになれて
心から幸せで、感謝で涙が止まらないのです。

きーちゃんと過ごした21年をここには書き表せないけど、

不幸なきーちゃんでも
不幸な家族でもない。

凹凸だらけの4人で、現世で過ごせた21年
めちゃくちゃ最高でした。

大好きなきーちゃんと、
とことん最後までいれて本当に良かったです。

もう少しだけ
私の話をさせていただけますか?

その「とことん」には
私のこの8年の反省が凝縮されています。

白血病から生還した後
「おねぇは、あまりお見舞いに来なかったよね」
きーちゃんにこう言われた事があります。

高校生だった私は、大学受験だなんだ理由をつけて逃げちゃう
本当に申し訳ない おねぇでした。

いつかこのお詫びをするために
大切な人がピンチの時に全力を尽くせる人間に必ずなると誓い、今に至ります。

だから今回のきーちゃんの闘病、
仕事の休みの融通利かせていただき、

あんな悲しいセリフを家族に二度と言わせないよう最大限一緒に居られたと思います。

なんと、きーちゃんが住みやすい環境まで作れるようにと
難病の支援制度のことまで沢山の方の力をお借りして、行動をさせていただきました。

私の大切な家族のために
様々な形で力を貸していただいた皆様に対して感謝の気持ちでいっぱいです。

きーちゃんと私たち家族の頑張る力をくださり、
本当にありがとうございました。

皆様がいなかったら
私は今こんな気持ちで言葉を紡ぐ事が
難しかったと思います。

気持ちを大切に整理するために
時間がもう少し欲しいので、
落ち着いたら、このご恩を改めてお礼させてください。

きーちゃんは私達に、
自分がこの世からいなくなっても
やる事を沢山沢山与えて
倒れないように気を遣ってくれたので、

まずは盛大に送り出すため葬儀を
最高の形で執り行いたいと考えています。

沢山の方に
きーちゃんの幽界への送り出しを
見届けていただけたら嬉しいです。

きーちゃんが生まれ育った
埼玉県 新田駅の葬儀場にてお待ちしています。

何卒、宜しくお願い致します。

2019年8月15日
きーちゃんの姉 宗近 真綺

【きーちゃん応援会】フェイスブックhttps://www.facebook.com/groups/469400067155712/

【ファンコニー管理人】フェイスブックhttps://www.facebook.com/100038859720410/posts/139151740723483/

【生前の娘の願い】

娘は専門学校卒業後に、某百貨店に勤務していました。化粧品の販売スタッフとして日々頑張っていて本当はその販売で扱っていた化粧品ブランドの会社に入社したかった。

そして目指すはメイクアップアーティスト!!しかも世界に通用できる!

私が言ったらただの親ばかですけど、量販店の洋服でも組み合わせが凄く上手で!スタイルも良くそこに素敵なメイクを自分自身でするのです。シンプルに可愛いのです。みんなきーんスマイルにやられてしまうんです。

【本人が僕に言った言葉で忘れられない言葉】

「将来の仕事の事ときーちゃんが30歳まで生きれられるか。」

「ファンコニ貧血をもっとみんなに知ってもらいたい。」

【娘が教えてくれた事】

・医療の限界や難病制度の事

・健康の大切さや日常取り入れる食事の重要性

・友達 仲間 家族の大切さ

・関わってくれた人達への感謝や思いやり

・負けないと強い心を持つ事

きーちゃんの意思を繋げて行くことや教えてくれた事をパパは大事にしていくよ!


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